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Anthropology of Sex and Gender: an Introduction (In Japanese)

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この本はいかにして生まれたか
解説『文化の中の自然と文化』
中川敏
2020-09-20
2024-06-16
@nakagawa-cat, @nakagawa-dog,

はじめに

この授業ノーツは まちがいでなければ、 ぼくの生まれて初めての授業のノーツだと思う。 大阪国際大学の(ぼくにとっての初年度) 1988/9年度の「文化人類学」 そして「比較文化」の授業であろう。

この講義は、いわば、試供品として 提供されている。 このセクションでは、 講義メモが、 「試供品」であることの意味を説明しておきたい。

この講義は、 わたしが生まれてはじめて「授業」なるものを ひきうけた時(1988年)に作成した 1 受業ノートに基く原稿である。 現在では私は受業のノート、 あるいは口頭発表のノートは、 そのまま原稿になるように書いている。 しかし、この時点ではノートは単なるメモであり、 メモとメモの間がどのように繋っているかは、 曖昧なままになっている。 これが、この原稿が試供品である理由の第一である。

もう一つの理由は、 この原稿には引用が引用としてマークされていない、 ということである。 どこからどこが引用で、 どこからどこが私の「地の声」なのかがわからないのだ。 このような書き方は学術論文としては失格である。

試供品である最後の理由は、 内容の稚拙さである。 きちんとした作品とはなっていないのだ。

「人類学」という言葉をまったく知らない 学生(1年生、2年生が対象だ)を、 驚かすことが、 この授業の原動力だったのだ。 なにか理論的なことを言うのではなく、 ただ、「わたしたち(日本人)のやり方」とは 違った、 一目を魅く事例(それもなるたけショッキングな事例)をいろいろ挙げる --- これが、この講義シリーズの中で 私が行なっていることである。 ただただ学生を驚かせたいという 意図が見えみえである。

本来ならば、 (1) 「わたしたちのやり方」もまた(他の人たちから見れば) おかしな やり方であるという考え方 (相対主義という考え方)を、 さらには、 (2) 一つひとつの「やり方」の 意味 は、 全体(文化)の中でその「やり方」の占める位置なのだという 考え方(全体論という考え方)にまで 話をすすめるべきだったのだ。

目次はここ にある。

大阪国際大学での授業

このような自転車操業を反省して、 次年度あたりから構想を練った受業をこころがけた。 その成果が 『交換の民族誌』 (中川 1992a) であり、 『異文化の語り方』 (中川 1992b) であるのだ。

References

Footnotes

  1. ちなみに大阪国際大学でのことである。

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